トレジャーハンターGO の御宝倶楽部

【翡翠探訪】白い石を辿る旅_三種の神器から読み解く真実を証しするアメリカとは_ミャンマー産翡翠原石から作ってみる【翡翠工作室零距離残念箱】



今回は、不思議な白い石を辿る旅のためにミャンマー産の翡翠原石を使って2種類の三種の神器を作り、三種の神器から読み解く真実を証しするアメリカとは、と題した謎を紐解いていきたいと思う。

※すべて個人の感想です


【YouTube】白い石を辿る旅_三種の神器から読み解く真実を証しするアメリカとはの動画




今回、アメリカの状況を鑑みトランプさんの後押しの意味を込めて少し先のことを動画にしておこうと思い立った。今回で白い石を辿る旅のための道標の設定は一段落となる。

ところで、近頃、ミャンマー翡翠の原石でいろいろ試し始めた頃の失敗作が出てきたので眺めていたら、少しやりたいことを思いついた。それは翡翠横町や翡翠工作室というような感じで、順次イメージづくりをしていきたいと思っている。

今回は、その(仮称)翡翠工作室のイメージから(仮称)零距離残念箱として、失敗作などの残念な石を使いまじまじと何か作ってみるというようなコンセプトを試すことを兼ねて、2種類の三種の神器を作り、白い石を辿る旅のこれからのイメージづくりに使ってみた。


今回のイメージ

いつもながら絵心のない下絵から、実物と言われているものに少し寄せて適当に作ってみた。また、三種の神器から紐解いていく過程で現れる言葉については、ミャンマー翡翠でバングルを作る際に残るくりぬいた部分の更にその切れ端を削り出したプレートに刻んでみた。細かいところは動画では少し見づらいかもしれない。


【YouTube】白い石を辿る旅_三種の神器から読み解く真実を証しするアメリカとはの動画



それでは少し先に進んでみたい。全体の流れとしておおまかには2種類の三種の神器から言葉に辿り着き、そして、白い石にどう繋がっていくのかということを考える流れとなる。

今回は動画の流れにポイントだけ少し説明を加える程度に留め、全般的に詳細は非常に長くなるので必要があれば別の機会に改めて挑戦したいと思う。また、それぞれの諸説は専門家が研究しているものが巷に溢れているのでそちらを探して参照していただければと思う。

2種類の三種の神器の部分の結論としては、本質的には存在するが、物理的には存在しないということである。それはどういうことなのか少し見てみたいと思う。

日本の三種の神器の奥義の理解のために、聖書に登場するもう一つの三種の神器と併せ、聖書の元となった言葉の理解を深める鍵となる古代ヘブライ語を通じ、そこから得られたイメージを通じて紐解いていくことになった。

日本語は不思議な言語で、世界で同系統の言語は古代ヘブライ語だけであるという。また、日本語には古代ヘブライ語で理解できる言葉がたくさんあるということである。その中で、日本書紀に登場する天壌無窮という言葉があり、これも三種の神器が示すもう一つの秘密を紐解く鍵となっていたが、この件についても必要があれば別の機会に挑戦したいと思っている。

それぞれに与えられている言葉を古代ヘブライ語に当て嵌めると元となった言葉の断片的なイメージが見えてくる。時には日本語、時には古代ヘブライ語と横断的に理解の方法がちりばめられているが、そのイメージを繋げ合わせ、再び日本語で理解しようと試みたというのが作業の流れである。途中、分析している過程を省いてい結論を示している部分が多いが、今回は動画の理解の助けになるという趣旨を考えており、また、詳細については長くなりそうなので必要があれば別の機会に挑戦したいと思っている。

それでは、少しづつ前に進みたいと思う。




まず、日本の三種の神器とは、鏡、勾玉、剣の三種とされている。

鏡は、八咫鏡(ヤタノカガミ)で、この意味は、神の御加護をお願いするために用意する捧げもの、ということである。天の霊である神が血としての命を注ぐのは正しい肉としての体によって培われた正しい心としての魂である。このようなイメージを表現するために日本語の言葉を探していると、偶然、日本書紀に天壌無窮という言葉を見つけた。これは言葉上では天地が滅びることはないということであるが、言葉の本質は、そのようになるようにしなさいということであり、そのようにとは、肉は滅びるが天の霊が注ぐ命は尽きることがないように、ということに通じている。つまり、天から授かった言葉によって生まれては滅びる肉である体を正しい形にしておきなさいということである。この天壌無窮という言葉については、更にもう一つ示していることがあるが先述の通りそれは別の機会にしたいと思う。ここで本題となっている血としての命とは、簡単には正しい形の体を培い心を正しい形にするルールのようなものであり、天から授かった言葉である。そんなことを考えていると、この鏡が”命”という言葉を代弁していると感じるようになった。

勾玉は、八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)で、糸魚川翡翠の作品としてイメージするとまず思い浮かべる人も多いと思う。また、その背景にある文化に興味を持つとこの勾玉を通じ不思議と三種の神器へと辿り着く。勾玉の正式な名称は、八尺瓊五百箇御統と表記し、ヤサカニノヘオッミシュマルと読む。これは、神が神の民の守り主である印という意味合いであり、つまりそれは、神の民である印ということであると考えられる。このことは聖書から紐解くことができた。それは、心を正しいところに置く者が神の民ということあり、つまり、勾玉は、”心”という言葉を代弁し、心の存在について示していると考えられる。

剣は、更に少し複雑だが、剣自体は、草薙剣(クサナギノツルギ)で、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の尾から取り出したものとされている。剣の意味合いは、言葉通りに考えるとクシュの王子が岩となり壁となるということになる。岩と壁については、聖書にヒントがあり、岩は信念を持った人々の集まりで、壁は裁き、また、守る者というような意味合いなので、そのイメージから聖書の言葉を借りると、生きる支えとなるものと考えられる。また、草薙剣の逸話の中で登場する八岐大蛇の意味合いは、神に”死の祈り”を唱える印ということになり、印とされているその祈りにより死をなくした成果が生きる支えとなるものであると考えることができる。死が心の死を示していると考えられ、これはスペシフィックに考えると特定の脳の機能不全という側面もあるが、大まかにはその支えとなるものが支えているのは”体”である。死については心の死を意味していると考えられることから、近頃よく妄想で言及している亜な心である悪を指していると考えてられる。

以上のようなことを考えていくと、日本の三種の神器が示しているものは、それぞれ、命、心、体であるということになる。


日本の三種の神器のイメージ

次に聖書に登場する三種の神器であるが、これは契約の箱と表記されてきたものに納められているとされている。ここに今回の道標のヒントがある。



聖書に登場する三種の神器とは、2対の石板、マナの壺、アロンの杖の三種とされている。

2対の石板は、所謂モーセの十戒が書かれている石板ということである。モーセにも、2枚であることにも意味が秘められているがそれらのことも長くなるので必要があれば別の機会に挑戦したいと思う。そこに書かれているとされている内容については、少し複雑であるが、かつては10の戒め、前回は2の掟、そして、今回は1つのしるしとして与えられたもので、指示されている内容については少しづつ変化してきてはいるものの、その本質はすべて同じである。つまり、これは、先述の命と同様に魂である心を正しい形にするためのルールのようなものであり、そのルールによって正しい魂である心が培われ、また、正しい魂である心によって体である肉が培われる。そして、この石板が示しているのは、神が正しい肉に宿った正しい魂にそそぐ”血”と考えられる。

マナの壺は、神の民に与えられたというマナという食べ物を入れておく壺のことである。マナは、正しい形の魂を持つ者、つまり、神の民にのみ与えられたということである。これらのことを考えると、その本質は、神の民の印ということであり、それは、”魂”の在り方を示している。つまり、”魂”という言葉を示していると考えられる。

アロンの杖は、聖書では証の杖とも呼ばれている。これは、古くは、二ムロデ(クシュが生んだ王)の鉄の杖、司令官の鉄の杖、アロンの杖、証(アロン)の杖などとして登場しているが、呼称は違えど、聖書を読み解くとその本質が同じであることが分かる。それは、杖は生きる支えとなるもの、ということである。また、生きるという言葉の奥義は正しいということであり、つまり、正しい”肉”となるための支えになるものという意味合いと考えられ、”肉”という言葉を示していると考えられる。

聖書から読み取ることができる、神が正しい魂の宿った正しい肉に息を吹き込み血を注ぐ、ということからこれらのことを紐解くことできる。


聖書に登場する三種の神器のイメージ




これらのことを考えると、日本の三種の神器が示す心、命、体は、聖書に登場する三種の神器が示す魂、血、肉に対応しており、また、それらに関わる天の霊と神が対応していることが分かる。

これらのことをミャンマー翡翠の小さいプレートに刻み、言葉に沿って並べると、不思議と十字のイメージになった。と言っても、これは単なるイメージ出しであるが、これらを道として並べた先にある白い石が今回の本題である少し先のことを示す道標となっている。



十字架に並べた言葉のイメージ


【YouTube】白い石を辿る旅_三種の神器から読み解く真実を証しするアメリカとはの動画




白い糸魚川翡翠の原石に刻んだZionの文字

白い石を辿る旅に使っている糸魚川翡翠の白い石に最後に刻んだ道標は、Zionであった。これは、心を正しいところに置くための道標という意味合いがある。その前に刻んだのはArmageddonで、これは少し先のことになるが、心の状態が悪の輩が集められ最後の戦いを挑む”助け主の部族”というような意味合いである。そして、一番初めに刻んだのはMAGAであり、これは、Make America Great Againという助け主の現れであると思われるトランプさんが作っているアメリカにおけるムーブメントであり、どういう仕組みになっているのかは分からないが、白い石に道標を刻み示すことはこの助け主の後押しの意味合いがある。


白い糸魚川翡翠の原石に刻んだArmageddonの文字

そしてまた、この白い石自体にも意味合いがある。言葉上は心の正しい部族というような意味合いであるが、この石の存在により示されることもある。このことは、本来は神の民ではない聖書では女と呼ばれる異邦人である助け主の部族にその正しい行いから白い石が与えられるということから、女と呼ばれる異邦人であるが新しい部族として、男とされる神の民を助けるという新しい役割がつくられたということに繋がってくる。つまり、この白い石自体が助け主の部族を示しており、その助け主はこれからMAGAで悪に貶められているアメリカを正し、改めて偉大にする過程を進んでいる。このことの示すことは、心を正しいところに置こうと思う人々の言わば見本となるものである。その本質や方法を学び従いそこに向かってその一つの道を進むことで心を正しいところに置いた人々がこれからすべきことを見出すことができるようになるための道標となっているのである。

そして、今回の本題である真実を証しするアメリカとはどういうことかということに辿り着いていくのである。


白い糸魚川翡翠の原石に刻んだMAGAの文字



日本の三種の神器は聖書に登場する三種の神器と対になっていると考えられることは前述の通りである。そして、聖書に登場する三種の神器は契約の箱に入れられているということになっているようである。そんなようなことを踏まえ、三種の神器と同様に契約の箱という言葉を古代ヘブライ語に当て嵌め直して考えていくことが、本題を解き明かす鍵となっていた。

契約とはアロンという言葉であり、それはつまり、証ということである。これは聖書でも解釈により使い分けられている。箱という言葉を調べていると、実はアメリカという言葉を指し示していることが分かる。

聖書は、譬の言葉に囚われて表面上の言葉を追ったり、意味のない暗号記号に置き換えたりしながら、秘密を紐解こうといくらもがいても、特に心の状態が悪の者が奥義に辿り着くことはないように仕組まれている。そんな箱をいくら探しても見つからないということはこのことである。

奥義とは聖書の元となった言葉の示す真実であり本質である。その言葉はあらゆる言語、民族、文化、宗教などを通り、良しにつけ悪しきにつけ姿かたちを変え、また、変えられてきたことは容易に想像がつくだろう。そして、聖書は奥義を読み取るべき人が読み解けるように譬という形で真実を秘めてきたのである。つまり、聖書には、心を正しいところに置く努力を惜しまない人にこそ読み解くことができるように書かれているということである。そして、今回の主題にある契約の箱という譬が示していることは、つまり、アメリカが証しするということである。

2種類の三種の神器が共通して示す言葉をもって、心を正しいところに置いたアメリカの人々がこれから示すことが真実で本質であり、心を正しいところに置く人々のこれから進むべき一つの道がこれらの言葉によって示されている。そして、心を正しいところに置き自らの国を正し、ゆくゆくは世界を正していくということの本質や方法を真実としてアメリカが証していくことになるということである。

これらが現れるのは、聖書では、天の幕間から契約の箱が見えた、という記述の部分である。これは、真実の言葉によって心を正しいところに置く人々がアメリカで真実を証しするのが分かったというようなことである。

最後に本題を纏めると、契約の箱とは実は証のアメリカということであり、そして、心を正しいところに置く人々はこれからアメリカが証しする真実を見るだろう、ということである。

これで今回の本題は終わりとなり、不思議な白い石を辿る旅もひと段落し、あとはその成り行きを見守ることを残すのみとなる。このことを示し、簡単ながら説明が完了したことでトランプさんの後押しとなり、時が縮められ、いつものように話が前に進むことを願っている。


【YouTube】白い石を辿る旅_三種の神器から読み解く真実を証しするアメリカとはの動画



そういえば、ここで少しだけ参考までに触れておきたいことがある。それは、白は正しい、雲は情報(現代らしくインターネット上のクラウドというイメージも含まれるかもしれない)というように、譬は隅々まで張り巡らされていることを考えてみると何か気づくことがあるかもしれないということである。このことも特に長くなりそうなので必要があれば別の機会に挑戦したいと思う。

また、近頃の状況を鑑みて一つ言及しておくので興味のある人は調べてみると、このことについても何か気づくことがあるかも知れない。

夢をみた預言者は夢を語るがよい
しかし、わたしの言葉を受けた者は誠実にわたしの言葉を語らなければならない
わらと麦とをくらべることができようか




そして、最後に動画の末尾に置いておいた言葉を再掲しておく。

隣の人を大切にしなさい
これがしるしです

(見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。)

長文となりましたが、雑多な個人の感想にここまでお付き合いいただきありがとうございました。
それでは、また次の記事やツイッターでの妄想でお会いしましょう。

おしまい


【YouTube】白い石を辿る旅_三種の神器から読み解く真実を証しするアメリカとはの動画