少し前に手に入れた翡翠原石を眺めながらあれやこれやといろいろ考える。何故かこれが止まらない。
翡翠探訪のコーナーで考えている方向性の一つであるアセットジェムが新しい挑戦とすると、粋な翡翠原石遊びは従前からの石拾いの興味とさほど変わらない楽しみ方の延長であると言えるかもしれない。
そして両者共に原石というキーワードがいつもスタート地点に控えている。
トレジャーハントとして石を手に入れる行為は大変楽しい。それが化石であっても鉱物であっても同様である。これまで手に入れてきた石は大抵適当な梱包で長い間日の目を見ることなく眠りつづける運命を辿ってきた。そうなってしまった大きな原因は自分自身の中にあり、それは石を手に入れる行為自体が楽しかったからに他ならない。
ところが、近頃、翡翠に興味を持つようになり少し自分の中に変化を感じている。原石を手に入れるということに対しては翡翠も同じ楽しみがあるが、今までと大きく違うところは、手に入れた後も楽しみたいと思うようになったことである。
翡翠原石遊びと単に銘を打ってみてはいるが内実その幅は大きい。原石を拾ったり、集めたり、飾ったり、その飾り方を考えたりというところから始まり、その奥にある細い道に足を踏み入れれば踏み入れるほど忙しい。これは糸魚川翡翠も緬甸翡翠(ミャンマーのジェダイト)も同様である。
ミャンマー(Hweka, Myanmar, 会卡場口)産天然本翡翠原石の青蛙皮
硬玉と言われるヒスイの主な産出地であるミャンマーの原石の9割方が流れていくという中国には翡翠の文化が根強く存在し、現在でも硬玉の翡翠原石の賭石という遊びがある。一般庶民にとっては商業ラインから漏れたいわば余りの翡翠原石の質を当てたり、質の良い原石から作品を作るのを楽しむような遊びだと思う。一方、賭石という名称どおりの名実共に一攫千金を狙う時には商業的な部分につながっている内容もあり、詳細の実態はよく分からないがそういうことを技術として使う翡翠関連を本業としている人も多く存在すると思う。
翡翠についてはもちろん世界的にも商業的に確立しておりビジネス的な専門家も多いと思う。ことに中国では学校もあり学業的な専門家も多い様子である。個人的には遊びというか、楽しみというか、そういうような感覚でいる部分もあるが、全体を見渡してみた時には単に遊びと言うのには語弊があるかもしれないと感じる部分もある。語弊どころか、それだけ文化に幅広く浸透し奥深いものに育っているということで、どことなく敬意すら感じる。ヒスイについてもグローバルスタンダードとしては宝石業界を個人的な軸として考えてはいるが、それでは捉えきれない翡翠文化の広がりがそこにはあり、今でも大いに参考にするような事も多い。
そんなこんなで今日もそこら辺に置いてある翡翠を手に取り、それらしく光を当てながら、余計な妄想を膨らませるようになってしまったのである。