マーケット探訪, 石拾い, 鉱物

ネパールのカトマンドゥで手に入れた深紅のヒマラヤ岩石の原石

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こんにちは。GOです。

本格的なカルチャーショックを受けたインドを脱し、空路で旅の本丸であるネパールに入った。

ネパールでのメインの目的はヒマラヤ山中で鈍く光る黒が特徴的なアンモナイトの化石(サリグラム)を自らの手で拾うということであった。一方、ついでと言っては何だが、他にも当時はまだ珍しかったヒマラヤの赤黒い岩塩、赤珊瑚なども頭の隅にあった(2005年前後頃の情報です)。



高地過ぎて草も生えない標高4000メートルを超えるネパールのヒマラヤ山中の奥地を流れるカリカンダギ(神の黒い川)のほとりにあるというアンモナイトを拾いに行くという冒険の前後には、暫くネパールの首都カトマンドゥのあたりで観光がてら滞在し、点々としていた。ヒマラヤの山の中に行く前には荷物になるといけないので何も買わなかったが、それでも特徴的な街中の様子などを見て回ることができた。

ヒマラヤから下山した後にポカラ経由でカトマンドゥに戻り、少し疲れを癒すと再びクラクションの音であふれる喧噪の街にでた。その際には日数の余裕があったのでじっくりと散策をすることができた。

宿からマーケットが開かれているという広場に向かう途中、ふとその入り口あたりで何か視線を感じた。その伝統的な作りの建物の上の階の方を見ると、ちょうど赤い観音開きの木製の窓が開き、赤い民族衣装に包まれて小綺麗にした少女が顔を出してきた。少女はこちらと目が合うと嬉しそうににこりと笑って手を振った。すかさずこちらもニコリと返したが、手を振るか振らないかのうちにすぐにお付きと思われる女性が慌てて少女を窘めながら室内に誘導し窓を閉めた。閉まりゆく戸の隙間から見えた最後の一瞬まで振り返り気味にこちらを眺めていた寂しそうな視線が今でも印象に残っている。この少女は幼少のころから、自ら望んだわけでもなく、ある程度の年齢までクマリという職位の聖なる少女として生きなくてはならないということだった。その少女がいた建物のあたりの広場で青空マーケットが開かれており、主にお土産屋さんが集中していた。しかし、並べられていたのはもちろん全くの観光客向けのものばかりで、質も値段も程々だった。もちろん単なるお土産には良かったかもしれないとも思うが生き生きとした触手は伸びず、そこでは特に意図もなく目についたお土産用の作りのククリを値引きしてもらって買ったくらいで、後はただ眺めるばかりに終わった。

再び細い道が雑然と交差する街中を散策していくと、ところどころにお供え物や寺院のような場所があったり、衣料や宝飾品などが売っている纏まった市場のようなところもあったり、更に入り組んだ路地のそこかしこにスパイスや日用品を売っているキオスクのような形の路面店や銀製品の工房、木工製品のようなものを売っている店などもポツン、ポツンと点在していた。製品類は一つ一つ手作りのものが多く、細かい装飾がいい意味でネパールらしい雰囲気を演出していた。値段はピンキリだったが、街をつぶさに眺めているだけで少し楽しい気持ちになった。

街の中心部に添うように進む大きな道路あたりには、広めの歩道の道端でゴザのような物を広げて店を開く人が多くおり、青空マーケットの様になっている場所もあった。

そこでまた一人印象的な出会いがあった。


舗装はされていたものの、どこから来るかも分からない黄土色の細かい砂埃が舞う道端で、まだ少女というのにふさわしい顔立ちのその女性は小さい赤子を片手に抱え、赤っぽい民族衣装に身を包み、道端に広げた赤い織布の上にそっと自分の商品を並べていた。その佇む姿には奥手そうな性格であることがありありと漂い、商売人らしい雰囲気は微塵もなく、行きかう人に声をかけることもせずただ静かにじっと座り込んでいた。興味を持って覗き込むと上目遣いでこちらの様子を窺い、笑顔を見せるとうっすらと笑顔を返してくれた。

そこに並べられていたのはすべて深紅というに相応しいほどに赤黒い色の発色が良く、大きな結晶が見えるくらいしっかりとした岩塩の原石だった。一目でこれはいいと感じたので全部でいくらになるか値段を聞いてみると、驚くくらい安く、商売をする気があるのか疑問に思うほどの値段を言ってきた。まあ、量もそれ程でもなかったし、彼らからすればその辺から拾ってきたただの日用品の塩だからそんなものなのかもしれないとも思った。そこで全部貰う旨を告げると少女はほほを赤らめながら笑顔をこぼしてきた。排気ガスと埃にまみれていた赤子のためにもいいことをしたと満足してその場を後にした。


深紅のヒマラヤ岩塩の原石


翌日、同じ場所を通ると同じ少女がまた新たに質の良さそうな岩塩を並べていた。すぐに歩み寄り、言葉はうまく通じないながらも笑顔を交わし、また全部頂戴と伝えると大変喜んでいた。

その翌日も同じようなことが繰り返された。しかし、その翌日は様子が違っていた。また通りかかると同じように少女が岩塩を並べていたが、一つ一つの大きさは半分くらいとなり、色もピンクで半分は白い透明なものになっていた。在庫が少なくなってきてしまったのか、もしかすると管理者がいて商売っ気を出してきたのかなど、何かがあったのだろうと思った。どこかから一生懸命運んできたのに申し訳ないという気持ちもあったが、余計なものを持って帰るほどの余裕はなかったのでその日を限りに岩塩を買うのをやめた。今考えるとヒマラヤ岩塩には赤黒い物の他にもピンクのものや白い物があり、特にヒマラヤの白い岩塩は自然の力で精製された質のいい岩塩だというようなことも聞くがその時には直感的にそうは思わなかった。少女の小さく膨らむ期待に反し、冷酷に素通りする後ろ姿を見られたように感じ、後ろからの視線が刺さっているようで何故か少し心が痛かった。


縁が黄色く見えるのは硫黄(サルファー)の影響かもしれない

日本では丁度そんなような高級岩塩を風呂に入れて楽しむブームが始まった頃で、当時は日本ではまだ貴重なものだったということもあり、大盤振る舞いでお土産で配ると誰もが喜んでくれたのを憶えている。硫黄が含まれているのでゆで卵のような風味があり料理に使っても大変美味しいが、匂いを嗅ぐくらいで口には入れず、眺めるだけにしておいた。今は安価で似たようなものがいくらでも手に入るようになったヒマラヤ岩塩だが、思い出の深紅の岩塩は、標本のような元高級岩塩として、今は思い出深いストーリーと共に手元にいくつかが残っているだけである。