こんにちは。GOです。
ネパールの3千メートルを超えるヒマラヤ山中を黒い水を湛えて流れているカリカンダギ(聖なる黒い川)で自らアンモナイトを拾う。この発想は、自分の中で、長らく続けてきた化石採集のストーリーの一つの終着点としてのマイルストーンとも言うべき大きな目標として長らく悶々と心に抱き続けていた。
そして、そのタイミングは突然に訪れた(2000年代初頭頃の情報です。※要確認:サリグラムは国外持ち出し禁止になっているようです)。
偶然に少し纏まった時間をとれるタイミングがあり、予てから心の奥底で温めておいた冒険に旅立つことを決めた。主な目的はネパールのアンモナイト(サリグラム)であったが、せっかくなのでその前にインドも観てみたいということで、北のトライアングルを周遊したり、オールドデリーなどの印象深い街に滞在したりすることができた。そして、波乱万丈のインド行脚から空路でカトマンドゥに入った。
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まずネパール入りした後の数日はカトマンドゥでの滞在となった。ヒマラヤ地域の奥に立ち入るためのパーミットの取得が一番の目的であったが、インドでの疲れを癒したり、ネパールの文化に触れるために彷徨ったりすることができ、地域の文化に触れることができたことは良い刺激になったと思う。街中の屋台のようなところでバフと呼ばれる水牛の肉を使ったネパール風の水餃子であるモモを食べて楽んだり、ネパールの伝統的な宮廷料理のようなものも堪能することができた。
過去の記事:ネパールのカトマンドゥで手に入れた深紅のヒマラヤ岩石の原石
カトマンドゥからポカラへは空路で向かった。ポカラの街を散策していると、行商らしき高齢の女性が道で行き行く人にお土産を見せている。少し覗き込むと中に黒いアンモナイトがあるのが見えた。こういうのは他に持っていないかと聞くと何日かかければ持ってくることができるというようなことを言っていた。10日ほどしたら戻ってくるというと、持ってきておくというようなことを言っていたような気がした。もちろん何の約束も、出会える根拠もなかった。
ポカラからは空路でヒマラヤ山中のジョムソンの街に向かった。行きは空港のあるジョムソンまで時間節約のためにショートカットで行き、数日河原でアンモナイトを探しながら散策し、麓までの帰りは歩きで、麓に降りてからバスに乗ろうというような感触の予定を思い描いていた。
ジョムソンまでは、チョモランマやマチャプチャレなど6千メートルから8千メートル級の壮大な山々の合間を縫うように小型飛行機が飛ぶ。ガタガタと頼りない音を立てながら迫りくる断崖絶壁の狭い合間を縫って飛ぶ飛行機からは見えないくらいの遥か上空に山々の頂上はある様子だった。
飛行機が着いたジョムソンの小さい町にレストランがあり、そこで食事をとりながら作戦を練ることにした。すると、たまたま近くの席に座っていた地元の方の集団の一人が話しかけてきた。どうもちょうどよいシェルパ(山岳ガイド)を知っているということらしかった。どうやってシェルパを探せばいいかすらも分からないで突入していたので、渡りに船とばかりにお願いすることにした。
程なくして小柄なネパール人の男が登場した。素朴で雰囲気の良さを持っている人物だったので、すぐに信頼し、その場でお願いすることになった。
レストランから出ると突然ガシャーンという音と共に何かが暴れる音がした。間もなく、人々が群がり何かを捕まえた。どうもヤギが建物の窓に突っ込んで暴れていたらしい。捕まったヤギは皆さんの夕食になるだろうということだった。冗談だったかもしれないが、そうでもなかったかもしれない。
ジョムソンからは延々と歩いた。苦しい歩みは少しイメージとは違うかもしれないが、格好良い言い方で言うと、これはトレッキングというものだったのかもしれない。特に午後からは風が出てしまうということで午前中の移動が主となった。
シェルパによると、聳え立つ山々の合間に広い河原を持つ川が流れており、その流れを辿って遡って行き、聖地ムクティナートを目指すということであった。思いがけず崇高な目的にすり替わってしまったがそれはそれでよしとしておいた。ところどころ山間を歩くこともあるが、主には川に沿ったルートであるという。その川こそカリカンダギである。マオ族などのような山賊による襲撃や遭難など気を付けるポイントはいくつもあるということであったが細かいことはよく分からないまま延々と歩くことになった。
始めはうっすらと緑の植物が生えていたが、数日も歩くとだんだんと草も生えない高地へと足を踏み入れて行った。高みから見ると禿山の山脈の中を歩いているような感じだった。気のせいか次第に息も苦しくなり、朦朧とする意識の中で、一歩、そして、半歩と歩幅が狭まった。しかし、少しでも前に進まないと目的地に着くこともなく、その場にいても命がない。
無意識で一歩一歩、次第に半歩半歩、時には何とか顔を上げて遠く見えない目的地を想うだけという状況の中、気力で踏み出している情けない足の先だけが見えていた記憶がある。普段の生活で歩く習慣がない人間がトレーニングもなしに突然そういう過酷な環境の中を毎日2-30キロ歩くので、ただ疲れてしまっただけかもしれないとも思う。そんな中、最終的には標高は3千メートルを超える高地となっていたようだが、相変わらず延々と歩いていった。
行きすがら、何度か川原に立ち止まりアンモナイトを探したが、稀に黒っぽいサリグラムに特徴的な色の欠片は見えども、割るとアンモナイトがひょっこりと顔を出すだろうと分かるような感動的なものはほとんどなかった。
しかし、目的地が近づいたころ、2つの印象的なアンモナイトに出会うことになった。
一つは川原に落ちていた。遠目にも分かりやすい大きな扁平の丸い石だった。それは、岩といったほうがいいくらいの大きさで、一抱えもある巨大なアンモナイトの化石であった。一旦は持ち上げてみたものの運ぶのは難しそうだったので、静かに川原に戻しておいた。
もう一つは、ルート沿いにあった小さい家の石垣にあった。それも巨大なアンモナイトであることは分かったが、如何せん石垣になっていたので見るだけにしておいた。
どちらも持ち帰ることはできなかったが強く心に印象を刻むことができた。
巨大なアンモナイトに比べれば小さいサリグラムのかけら(比較は500円玉)
カリカンダギに沿って聳える崖の上にある町で泊まった時に、やっとゆっくりとした気持ちでカリカンダギの河原に降りる機会があった。少し休んでから川に降り、石を探していると、カラン、カランとそこいらの石が鳴った。何だろうと石の飛んできた元と思しき方を見上げると崖の上の方からその小石を投げたと思われるいたずらっ子たちの笑い声が聞こえた。そして、そこから山の向こうのほんのすぐ少し先に見えるそこはもうチベットであるということであった。
朝、ほんのりと雪が残る街を出て聖地を目指す。ムクティナートには、ヒンドゥー教とチベット仏教の聖地があるという。街から出て程なくして何やらこじんまりとした建物のある地に着いた。
人気はない。庭のような場所にある石の壁の、人の頭くらいの高さから石造りの108の龍の頭が突き出しており、その口から水が滴り落ちているのが見えた。その瞬間、体感温度が零下のような空気の中にも拘らず、それまでおとなしかったシェルパが嬉々として服を脱ぎだした。そして、パンツ一丁になったシェルパは何やら嬉しそうに大声でわめきながら龍の口々から出る水を順に浴びだした。同じようにすることを勧められたが流れ出る水を順に手で触って少し口に含むくらいにしておいた。
しばらくしてシェルパは元通り落ちついてくれたが、これだけじゃない、と目を輝かせながら言い出した。ここにはこの地が聖地たる由縁である聖なる火があるという。3千メートルを超える富士山より高いところにある草も生えないこの地に延々と灯り続けている火があるという。
その聖なる火は主な建物の少し脇にある小さな小屋の中にあるというので近づいてみたが鍵がかかっていた。
シェルパは勢いよく元の建物に向かうと管理者と思しき人を連れ戻ってきた。本来はヒンドゥー教の信者でないと聖なる火を見ることはできないということを言われたということであったが、彼自身が信者で、その信者が連れてきた人ということで鍵を開けて中を見ることを許可されたということであった。
古ぼけた鍵を開けると小さめの木製の扉がゆっくりと開いた。中は薄暗く、外から入る光が埃っぽく狭い室内をうっすらと照らした。入り口付近にある柱には顔写真が所せましと無造作にたくさん貼られていた。無秩序に貼られている写真をじっくりと見てみると大分昔の人と思しき写真が多く見受けられた。そこで、そそくさとパスポートの控えのための写真を取り出し、諸大先輩方の仲間入りさせてもらうことにしたのであった。
その奥は薄暗くよく見えなかったが、土間を奥に進んで近づいて見てみると、少し盛りあがった土の上に色使いのいい仏像が数体あり、その足元にぽっかりと小さな洞窟のように穴が開いている。穴の入り口は簡易な網のような物で覆ってあった。その奥を覗くと、ゆらゆらと揺らめく小さい光がいくつか見えた。それが正に聖なる炎の灯であった。
写真を撮っていいかと管理者に聞いてみると、それはダメだという。この聖なる火はここに来たものしか目に見ることはできず、誰でも見ていいものではない。心の中に刻むのが大事というようなことを言っていた様な気がする(まずは、写真については、撮るような軽率なことをしてはいけない。万が一写真になってしまっても自分以外の人には見せないようにと念を押していたようだった。いずれにせよそれを見るということよりもそれを見に来た経緯で刻んだ心の経験が大事ということのような気がする。そういう意味でここで写真なんか撮っても本質的には意味がないということには同意である)。そんな、感動の聖地巡礼であった。
現実的には、この炎は天然ガスに火がついているものということで、ここにガスの脈の出口があるのだろう。アンモナイトなどの化石が大量に出るということは、そういうものに由来する化石燃料の原料のような物など、ガスが発生する起因となるものがこの広大なヒマラヤ山脈のどこかに眠っていても何ら不思議はないような気がする。
聖地の巡礼が終わり入り口の街に戻ると、街を出る時には人っ子一人いなかった数件しかない家の軒先に簡易のテーブルが並び、皆さんが店を出していてくれた。当時はまだここまで足を延ばす人も少なかったようで、途中の宿泊地同様に周囲を見渡しても他に訪れている観光客は見当たらなかった。いるのはどこか懐かしい顔をした住人とロバだけであった。朝、聖地に冒険気分で意気揚々と向かった可哀想な日本人のために、帰ってくる時間に合わせて店を出してくれたのかもしれない。
手作り品を中心にチベット色の濃いお土産が並んでいたような気がするが、当時の目的はアンモナイトだけだったので、それ以外の記憶は薄く、写真もない。
ある女性が小さな机を家の前に出して並べていたアンモナイトが目に付いた。アンモナイトが見えるように割られた黒いサリグラムを手に取っていると、カリカンダギから採ってきたものだという。その脇にあった親指大の丸っぽい石もアンモナイトだという。小さい石は割られていなかった。
その時、一つ重要な話が頭をよぎった。ヒマラヤの奥地に住む人は海を見たことがないので、海の生物も知らない。そして、見たこともない不思議な生物が山から出てくる石の中に住んでいるということで、アンモナイトを石の中に住んでいる神聖な生き物として扱っているということであったと思う。つまりは、その神聖な生き物の住処をたたき割ってその姿を覗くなどとんでもないことだと考えているというようなことである。切ないことにお土産用に人気があるのでやむなく石を割って姿が見えるようにしていることもあるが、普段、この地の人々はそんな貴重な石を見つけても割ることをせずに信心深く大切に扱っているということであったような気がする。
ふと目線を商売用の小さい机から上げると、家の入口から、薄暗い土間のようなスペースがある家の中が見えた。まるでズームインのように、その奥の神棚のようなところに並べられ、薄っすらとした光に照らされた大きな丸い石が目に飛び込んできた。すぐに頭の中でその神聖な生物の話とリンクし、それが割られていないアンモナイトだと直感した。
そして、割られたサリグラムや小さい丸い石を手に取って値段などを聞きながら、割られていないもっと大きなものはないかと尋ねた。女性は少しきょとんとした顔をしていたが、こちらの目線を追うとすぐに、あることはあるがあれは売り物ではないのよねというようなことを言っていたような気がした。
しかし、間もなくあきらめたようにいそいそと土間の奥まで行き、それらの大きめの丸い石を持ってきて見せてくれた。間近で見ると丸い石の脇腹のあたりにアンモナイトの背が見えている。間違いなくそれはアンモナイトの化石だった。
譲ってくれるならばいくらならいいかと聞いてみたが、大切にしているものらしく値段を言うのをためらっているように見えた。そこで、徐に首に巻いていた空柄のフリースのマフラーを差し出し、これでどうかと聞いた。当時、フリースは日本で流行りだした頃だったので、流石にこの地では初めて見たようなものだったに違いなかった。そのきれいな空色に雲という珍しい柄と触ったことのないフリースの触り心地に、我を忘れたような素早さで、渡されて手にするとすぐに頭にすっぽりと巻いていた。
女性は既に石を売るのことなどどこ吹く風で、顔だけ出るように頭から巻いた素晴らしい品物を撫でながらご満悦の表情といったところであった。石をこちらに預けたまま、全部持って行っていいよ、とそんなことを囁いたような気がした。
流石にそれでは悪いので割られたサリグラムの値段より少し多いくらいのお金を差し出すと、その辺りにある小さい方の丸い石もいくつか貰うことになった。その時は何故か、素晴らしい物を手に入れたということよりも、その人の心が何かに照らされ明るくなったということのほうが嬉しく感じたのを憶えている。
帰り道、シェルパはお前のバックパックは歩くほどに重くなるなと呟いていた。まさか次々に石が入れられているとは思わなかったのかもしれない。
河原を下る道すがら、意気揚々と歩むシェルパが背負う私のバックパックに縛り付けられ、旗のようにひらめいていた彼のパンツを見て少し複雑な気分になった。
バスの出る麓の街までは、道中で、途中温泉に浸かったり、険しい山道を通ったりした。当時人力以外で唯一の物品の輸送手段であったロバも崖に張り付きながら進んでいるように見えるところもあった。
そのシェルパはポカラに家があるらしく、帰りのバスもポカラでの宿も手配すると意気揚々と仕事をしていた。バスも一番いい席ということで一番後ろの席を確保してくれていた。
麓の街からポカラに向かうバスが山の中の道で一度突然軍人のような服装の人物に停められた。肩にはライフル銃をぶら下げており、一瞬、バスの中の空気が張り詰めたような気がした。
その人物は物々しい雰囲気でバスに乗り込んでくると全員降りるように指示をしてきた。次々とバスを降りる乗客に続こうと腰を上げようとしたところ、座ったままでいいという。見るからに海外から観光できたお上りさんであったからかもしれない。
ゆっくり走るバスの脇を歩く人々をバスの中から見ながら複雑な気分になっていた。その段階では人々はそれほど緊張している様子もなかった。程なくして、全員がバスに乗り込み、再びバスは無事に出発した。聞いたところによると人々に紛れて山から下りてくるマオ族などの対策のためだったようで、地元では常識の行事だったのかもしれないとも思った。
日程が曖昧だったこともあり、ポカラでは行商の女性とは再開することができず、追加のサリグラムを手に入れることもできなかったが、山中で思わず手に入れることができた神聖な宝と掛け替えのない経験にどこか心は満足していた。
ポカラからカトマンドゥへの移動は予てから興味があった長距離バスを利用した。バスでの長距離移動は断崖絶壁に沿った細い未舗装道路を延々と大型バスで進む過酷な移動で、従前の情報からイメージしていたよりも危険な香りがした。
車両が通るのすら難しそうな道で、大型バスのすれ違いなどが頻繁にあり、更に運転が難しく見えたが、運転手は慣れた様子でこちらの杞憂などお構いなしだった。もちろんガードレールなどというものはなく、ところどころ心もとなく崩れかけている。途中、崖下に落ちていたバスが目に入ったのが印象深い。無事にカトマンドゥに着けて良かったが帰りも少しだけ違う冒険の気分を味わうことになった。
昔のそんな命からがらやっとたどり着くことができていたような僻地にある秘境でも、今はジープでさっさと便利に行ける時代になった様子が伺える。
人力とロバの時代の冒険話も今の感覚では既にただの少し頑張った程度の旅行の範疇であり、感覚的には少しの時間しか経っていないと感じるが、実際の時代の流れはそんな感覚など傍らに置き去るくらい加速しており、心の中の冒険話も既に過去の遺物となっていると思い直してしまう。
丸いままの神聖な石が生涯の宝となったことと同様に、元冒険話といった感じになってしまったこの経験も共にかけがえのない宝物とし、心の金庫に静かにしまっておこうと思う。