こんにちは。GOです。
ドミニカ共和国でしか産出しないという世にも珍しい青い光を放つ琥珀があるらしい。この噂一つだけでドミニカ共和国行きを決めたといっても過言ではなかった(2005年前後頃の情報です)。
ドミニカ共和国のブルーアンバーは、当日到着するラスアメリカ空港があるサントドミンゴから山を越えた北の方の海岸沿いのあたりで主に産出するらしいということは分かっていた。夢見がちな妄想としては、採掘現場に行ってみたいとか、少なくともその近くの街でなんとか手に入れることはできないかなどとも考えたが、そこまで詳細な情報を確定することもできず、更に、今と違いドミニカ共和国現地での持ち時間が1泊2日という超タイトな日程での活動だったこともあり、そちらまで足を延ばす時間をとることは難しそうだったので、何とかサントドミンゴのあたりで何か感触を掴めないものかと思っていた。
当時の自分の旅行時の流行りであった宿も取らずに現地入りするという冒険スタイルでいくつもりでドミニカ共和国に向かった。冒険スタイルと言いながら途中までは滑稽にもスーツスタイルだった。そして、アメリカ本土を経由してドミニカ共和国のラスアメリカ空港に入った。
空港から街までのタクシーとの交渉時に、既に事前に目を通していた直近の旅行誌の情報より物価が大きく上がっているように感じられ、専門誌でもとらえきれない情報の動きの速さに少し不安があったのを覚えている。実際は空港に手配係のような人がおり、話は全てその人とすることになり、後はタクシーに乗せてくれる。後で知ったことだがこの頃はドミニカ共和国が旅行者の安全安心に配慮した仕組みに強く力を入れ始めた時期で、このタクシー手配係もこの後街中で出会った観光案内人の制度もすべてその恩恵だったと分かる。今考えると急速に観光産業向けにいろいろと整備されている最中だったということと照らし合わせると頷けることが多い。
ちょうど旧市街の目抜き通りも観光向けに整備され始めており、観光警察なるものも存在していた。聞いたところによると地元民は口喧嘩しただけでGo to Jail(刑務所行き)ということで、実際に通りの裏手でその逮捕劇の場面に偶然遭遇し、その瞬間を目撃してしまった。少なくともその地域だけは旅行者の安全が守られているという部分では良いことだと感じた。
サントドミンゴの街の広場のあたりで唐突に車を下ろされると、地元の人らしき顔立ちの人物たちがパリッとした水色のポロシャツを着てあちらこちらにおり、遠巻きにこちらの様子を窺っていた。まずは宿を何とかしようとキョロキョロしていると何者かが少しづつ無言でにじり寄ってきているのを感じたが何とかやり過ごした。
まずはガイドブックに載っていた宿に入り、部屋があるか聞いたところ、その日の部屋はないという。まあ、ガイドブックに載っているようなところなのでそういうこともあろうかと、宿を出ようとしたところ、それまで遠巻きに見ていた内気そうな一人の男がいつの間にか体がつきそうな距離で真後ろに立っており、ぼそぼそと小さな声をかけてきているのに気づいた。
よく聞くと、自分は観光ガイドで旅行者の世話をする公的な係だというようなことを言っている。首から下げている身分証明書のような物を少し誇らしげにしつこく見せてきていた。そして、自分はいい宿を知っており、宿泊の交渉などもいい条件でしてくれるという。少なくとも挙動不審ではあったが、その動きから悪い人ではなさそうだったので従うことにした。石探しのことも後で聞こうと思った。
ドミニカ共和国は独自の観光への施策として観光ガイド制度のような物を公的にサポートしており、この人物は国からお墨付きをもらっているガイドという位置づけのようだった。一旦交渉してもらった少しいいホテルの部屋に案内されてから、すぐに街の様子を見るために散策してみようと表に出ると、こちらから言ったわけでもないのにその男はずーっとそこで待っていたらしく、すぐに歩み寄ってきた。街を案内してくれるという。仕組みはよく分からないが、宿もお世話してくれ、更には公的な立場の人物のようなので言われるがまま後をついていくことにした。
目抜き通り、街の観光名所、博物館、コロンブスの何とか、カリブ海食のレストランなどを転々としながらお互いにたどたどしい英語でのコミュニケーションで何とか説明を受けながら歩いた。かつては日系の工場が移転してきた際に経済的な事を含め多大な恩恵を受けたということで、ドミニカ共和国の人は日本人が大好きだというようなたわいのないなどを教えてくれた。そして、一通り観光を済ませて夕食をとった後に、男はカジノに行こうと言い出した。当時はあまりカジノには興味はなかったがあまりにも目を輝かせながら勧めてくるのでついていくことにした。
カジノへの道中、海岸沿いを歩いたていた時、少し驚きの場面に出くわした。破壊された海岸線。家より大きな穴があいたアスファルトの道路、割れた建物の窓。よく聞くとほんの数日前にハリケーンが通り過ぎてすべてを破壊しつくしていったと淡々と言い放った。本人はそんなことよりもカジノに心を奪われていたような雰囲気だった。現地を訪問したのがいいタイミングだったのかどうかは未だに分からないが、その混沌とした光景にショックを受けた反面、全くそういう事情を知らなかったので、今回の訪問が少なくともハリケーンの最中でなくてよかったと浅はかに思うことしかできなかったのを覚えている。
カジノの話に戻ると、地元の人間は旅行者と一緒ならばカジノに自由に出入りできるのという仕組みのようなものがあったのではないかと今考えれば思う。それにウキウキする公的な観光案内人もどうかと思うが、主にコインゲームが好きらしく、しばらく旅行者はそっちのけでカジノゲームに興じていた。お前もやらないか、と声をかけてきたその時ばかりは自信のある艶の声だった。
その日はカジノが最後の目的地となった。結局、タイミングを逸してしまい石について聞くことはできなかった。
翌日、仕方がないのでガイドブックに載っていたブルーアンバーが売っているという博物館や店、石を買い付けに来る人もいるというモールなどを見て回ることにした。朝一番でそのモール近くの地元の店で朝食や飲料を仕入れると、すぐにモールに足を運び、ブルーアンバーを探した。たくさんの店が琥珀を扱っていた。お土産屋さんが全面に店を出しており、虫入りの偽物らしき琥珀を勧めてくる店もあった。
中にはもちろん真面目に商売をしている様子が伺える店もあり、ブルーアンバーを見せてもらうことができた。そんな店の中のある店主らしき人によると少し前からある国のバイヤーが根こそぎブルーアンバーを買い付けていって今はあまり数が残っていないというようなことを寂しそうに言っていた。まだ慣れないブルーアンバーをマジマジと見ていると店の奥からいくつか店頭に置いていなかったものを持ってきてくれた。それはブルーアンバーの原石で、日の光が当たると割れ目の光沢部分から何とも言えない不思議な青色を放っていた。初めて直接目にした質の良い色合いに、これがブルーアンバーの色かと感動した。
値段を聞いてみると、少しもごもごした後に、なぜか、お前なら安くていいよと言うことで世間で同じようなものに対して見たことのある金額の10分の1くらいと感じる値段を提示してくれたので、ありがたく頂戴することにした。もちろん原石の仕入れ値の相場などは到底分からなかったが、内心はこんな良さそうな物ならばお土産価格を言われるかもしれないとビクビクしていた。なんだか大事な宝を奪い取られた失望の最中に現れた可哀そうな日本人へのサービスという印象を受けた。その際に室内でブルーアンバーの青い発色を見る手技の方法も丁寧に教えてくれた。
その後、モールから出る前にいくつかお土産を物色し、値引きしてもらいがてら、後学のために偽物らしい虫入り琥珀を一つおまけで一緒にもらってきたりした。
街に戻ると笑顔で寄ってくる男がいた。あの内気な観光ガイドだ。一言の約束も何もしていなかったが、何で出かける時に声をかけてくれなかったのかというようなことを寂しそうに言っていた。そんなことを言われても連絡先も知らなかった。そして、一人で観光地区以外のところをほっつき歩くと危険だと少し怒られた。確かにその通りだったと感じ少し反省した。彼らには安全を守る役割もあるのだろう。そんなこんなで、実はブルーアンバーを探しているというようなことを伝えるとまずは博物館のようなところに連れて行ってくれた。確かにそこには素晴らしいブルーアンバーが売られていた。しかし、先ほどモール内の交渉から考えると値段も素晴らしかった。
また、その時はあまり興味がなかったが、そこにはラリーマール石という日本にもゆかりのある素晴らしい色彩の石もそこここで売られており、値段も非常に安かったので話のタネに購入した。ラリマール(ラリマー)石はブルーペクトライトという鉱物で、購入したのはそのかけらのような物であった。今の状況を考えれば市場で見たものを根こそぎ買っておけばよかったかもしれないと思うところもあるが、もちろん後悔は先に立つことはない。その時はラリマール石にはそれほど深い興味を持っていなかったのでそれ以上追及することもなく、その後、地元のマーケットなども見たかったので少し観光を挟むことになった。
街中の店では、質の良さそうな旅行者向け価格のブルーアンバーをいくつも見ることができたので目の保養にはなったが、これは自分が思っている値段とちがーうなどと駄々をこねてみると、男はしょうがないなぁ、ちょっとついてこい、ということで旧市街から少し離れたさびれた街中に案内してくれた。観光地図には載っていない場所だった。
この男にはある程度一定の信頼感を持つに至っていたので比較的安心してついて行った。そこは、住宅街の中のようなところにポツンとある小さな商店だった。情報誌に載っていないので観光客などはあまり足を運ばないようで、店の外も中も客はなく、至極閑散としていた。生活用品と多少のお土産品とが雑然と並べてある薄暗い店内に入ると少し驚いたような顔をした店主のような人物が訝し気に寄ってきた。観光ガイドの男が何やら説明をしてくれると店主は簡単なペンダントトップに加工された透き通った小ぶりの琥珀が雑然とたくさん入った紙の箱を裏から取り出してきた。
午前中に教わったテクニックで一つ一つ手に取って色を見てみると、ブルーだけではなく、緑や赤のようなものもあった。もちろん極力ブルーだけを拾い上げた。値段を聞くと一つあたりの値段は同じようなもので聞いたことのある価格の30分の1前後くらいということでめっぽう安いと感じた。この価格ならば偽物でも十分に自分を納得させられる。そこで、既に拾い上げたブルーアンバーに加え近くにあった他のブルーアンバーのペンダントトップも含め、手に山盛りに乗せたものを全部貰いたいということを伝えると更に少し値引きしてもらうこともできた。安価でたくさん目的物が手に入り、更に気軽にお土産にもできるということで、難しい任務を全うしたような気分になり、安心と喜びの気持ちが広がった。一方、店主は顔色が変わり急に電卓を取り出し何やら計算を始めた。あれ、気づいたかなと思ったが、それは単なる取り越し苦労だったのかもしれない。
程なくして店主らしき人はまずは店内の他の物を勧め始めた。もちろん興味はないので店内のものを勧める店主に申し訳ない気持ちが起こり、改めてドミニカ共和国に来たのはブルーアンバーを探しているからだと伝えると、ちょっとこっちに来てくれということで店に隣接しているスペースに連れていかれた。そこは兄弟の店だというようなことを言っていたと思うが、簡単な地元民向けのジュエリーショップのような作りの場所だった。
間もなく雑貨店の店主に連れられて別の男達が出てきた。確証はないがその中にいた宝石商のようなメインキャラクター的な人物が店主の兄弟だということのような気がしたが全くその話題に触れられることはなかった。そして、その宝石商はあることを口にした。
近頃ある国の人達がこぞってブルーアンバーを買い占めてしまい、手元にはいい石はほとんどないというようなことを周りの展示品を指しながら寂しそうに言ってきた。午前中にモールに行った際にも同じようなことを言われたと伝え、そこにはいい石が少しだけ残っているようだったと何とか観光案内係の男に手伝ってもらいながらつたない英語とジェスチャーで現地の言葉を交えながら世間話のように伝えていると、中の一人が静かに立ち上がり奥に消えていった。
戻ってきた男が小さい紙の箱に入った何かをいくつか手にしていたのが見えた。薄っすらと過去の宝石商とのやりとりを思い出していた。
紙の箱を受け取った宝石商の男は、これしかないよ、というようなことを寂しそうな顔で言いながら、2-3個の紙の箱を開け始めた。まず目に入ったのは感動を覚えるほどの透明感がある風体に室内でも分かるような不思議なブルーを放つ大きめのブルーアンバーのルースだった。これか、これなんだ、と改めて思った。
控えめに値段を聞いてみるとそれまでの原石よりは大分値が張ったがそれでも見たことのある値段から考えると10分の1以下くらいだったので、まったく法外な値段ということはないと感じた。宝石商は何とも言えない表情でお前ならこの金額でいいよというようなことをまた言われたような気がした。時間的な制約もあり他にチャンスがないということを感じていたので、少しだけ値引きしてもらい、出てきた数少ないものをすべて貰うことにしたのだった。
当時手に入れた成果物は今も手元にいくつかは残っているが、当時は今の様に手に入りにくくなるというようなことを考えていなかったので、一番質の良いルースも含めお土産で大盤振る舞いしてしまい多くを人の手に渡してしまった。一方、既に手元にない物でもミネラルショーなどで似たようなドミニカ産のブルーアンバーが売っているところを目にする度にブルーアンバーを手に入れた経緯を思い出すこともある。無手勝流だった品質や値段への感覚でもそれほど的外れでもなかったのかも知れないと、勝手な勘違いかもしれないが、数は少なかったながらも商売レベルの買い物ができたかもしれないと感慨深く考えることもある。
しかし、そういう部分は枝葉末節の部分なので、ひょっとこトレジャーハンターの本懐としては探訪の逸話とその証拠の片鱗があればそれでいいと常々思っている。
また、その後、バルト海など他の地域でも質は違うながらもブルーアンバーが産出している様子であるが、未だにドミニカ共和国のブルーアンバーが抜きんでて質がいいような気がする。
ドミニカ共和国で手にしたブルーアンバーも、ラリマール石も、情緒溢れるカリブ海の澄んだ海の底を思わせる神秘的な青が素晴らしく、印象深い。
何とかブルーアンバーを手に入れて満足してから、空港に向かいたいと観光案内人の男に聞くと、帰りのタクシーも手配してくれるという。
実は滞在中に観光案内人は案内料を旅行者に請求できるが強制はできないというようなことがどこかに書いてあったのを見つけていた。そんなこともあり、この内気な男はお金の話をすることができないまま怪しい旅行者に延々とついて回ったという訳である。謝礼の金額など細かいことはよく分からなかったが、街中に戻る途中、こちらから謝礼の事を切り出し、渡す現金がないから両替所のある空港まで一緒に来てほしい旨を男に伝えた。
男は街に着くと徐にその辺のタクシーに声をかけ、程なくすべて話がついたという。自信満々に指さす先にあったタクシーは60年代を思わせるおしゃれな車体だった。これは先進国で使われていた車を作る古い機械を工場ごと現地に持ち込み稼働させて作っていたものだったのだろうと思う。そうならば、結果としては形は古いが製造の年式は新しいリバイバル的なものとなり、流行りのビンテージカー好きの中にはたまらない逸品と感じる人もいるだろうと思った。
結局、観光案内人の男には空港まで同行してもらい、両替をして現地の通貨でお金を渡すことができた。飛び上がるほど喜んだその男が、我こそは○○である、今度来た時もよろしく、というようなことを決め台詞的な雰囲気で改めて胸を張って言っていたのが印象深い。そこは練習をしていたに違いない。そして、この仕事も初仕事に近かったのだろうと感じた。
後で考えると謝礼を多く渡しすぎたのかもしれないとも思うが、お互いに内気な中で、こちらが観光案内料の仕組みの事はよく分からないまでも感謝の気持ちでお金を渡したということを分かってくれていたと信じているし、何より喜んでくれたのでそれはそれで気分のいい思い出となった。本来はレートを外れたチップや謝礼は現地の商習慣を乱すのであまりお勧めはできない。
そんな急転直下のひょっとこ冒険劇があったドミニカ共和国は、もう一度時間を取って改めてじっくりと見て回りたい国の一つである。