こんにちは。GOです。
無計画で進んだインド行脚で宝石商とのやりとりを密室で経験したことがある。
まだデジカメもインターネットも発展途上で十分に普及が進んでいなかったので、十分な情報は手元になく、気の赴くまま手探りの旅を楽しんでいた時の事である(2000年代初頭の頃の情報です)。
元々インドに行ってみようと思い立ったのはネパールの山奥を訪れようと計画した時だった。せっかくネパールに行くのだから、その前に隣国のインドもついでに見ておこうというバックパッカー的な軽い気持ちがそもそもの発想だった。
旅自体の内容に触れるのは本題から脱線してしまうので今回はあまり言及しすぎないつもりでいるが、インドの旅についてはいつも少しだけ触れておきたいことが散在している。
ありきたりの話として内容が薄まるようで少々の恐れを感じるが、やはり結果としてこのインドとネパールでの時間は心の中で大きな存在感を持ち、タイミング的にも人生の転換点に置かれていたと感じている部分があるのは否めない。
インドでの旅の始まり。
インドに入ると、早速、夜の空港から始まり続々とイメージ通りの異文化の洗礼を受けた。気を引き締めてはいたものの、異国の夜に宿もなく言葉も思うようには通じない。当時はお恥ずかしながら英語もろくに話せず、主な武器はYes、No、Please、Thank youの4つだけで、四苦八苦しながら勢いだけで切り抜けていた感があった。
そんな感じだったので、当日はいかんともしがたい状況で結局誰とも分からないインド人に身をゆだねるしか手段はなかった。
暗い夜に言われるがままに身を任せ、ボロい車に押し込められ、見知らぬ土地に犇めく雑居ビルの2階にあるような狭く薄暗い宿に連れて行かれたのだった。
翌日、宿を出ようとするとマネージャーらしき人物から引き止められ、おい、待て待て、次の宿泊は半額でどうだ、というような事を言われた。全くおかしい話のような気もしたがインドの常識をまだ肌で知らなかったこともあり、何がおかしいのかはよく分からないまま、誘いを適当にいなして宿を後にした。
インドではどこかおかしいような気分に頻繁に見舞われた。今改めて考えると、宿泊料云々よりもそれまでの道すがらに見落としている落とし穴がたくさんあったかもしれないとも思う。夜中に連れ去られるように車に押し込められ、他に選択肢のないまま宿に辿り着き、そこから何事も大事はなく生きて出てこられたということはラッキーだったのかもしれないと思う時もある。
一方、インド人の心の根底にあると思われる優しさのようなものが裏にあり、混沌としたインドという地で偶然飛び込んできた可哀相な異邦人を何とか朝まで生きながらえさせたということなのかもしれないとも思う。
まあ、真実は霧の中である。
後に、ある世代を境に本来の誠実で真面目なインド人の世代とお金になるならば何でもやってみようという若い世代に分かれていることを知った。その境目になる世代は、インドで観光産業が栄え始めた時期の世代であるということであった。
インドでは宿や交通手段などを何も準備することなく、いわば行き当たりばったりで乗り越えていくような旅のスタイルだった。
観光のガイド本によると街に旅行者用のインフォメーションセンターのようなものがあるということだったのでそこに足を運んてみることにした。出てきたスーツの担当者も、どうも雰囲気からして話すらも怪しい感じがしてならなかったが、気づくと言われるがままに、自由な行程で3都市を車で周遊するという、宿と運転手付きのプランにいつの間にかお金を払っていた。
その3都市は、ニューデリー、アーグラー、ジャイプルで、北のトライアングルと呼ばれるような地域を成している。手配されていたホテルはどこも地方の最高級ホテルらしかったが、どういうわけか宿泊客はどこも1-2組くらいで他の宿泊客はほとんど見当たらなかった。
あるホテルでは、到着するとホテル内を歩くその足先にバラの花びら撒き係によりバラの花びらが撒かれていき、そして、その花びらが他のバラの花を掃いて道を作る係に箒かれ、部屋まで道ができていくというようなこともあった。前後には子供を連れた大道芸人が何やら芸をしてくれ、従業員も近所の人らしき人たちも集まって総出でパレードらしい雰囲気を演出してくれているようだった。もちろん他にこのサービスを受けるべき人は誰もいない。街総出のイベントのような雰囲気ではあったが、今考えれば、珍しい裸の王様の日本人が来たぞーっいう感じだったのかもしれない。
手配された運転手は少しあか抜けた感じのジャイプル近くの街の出身という青年だった。何かにつけて各地のお土産屋さんに頻繁に連れていかれたのが印象深い。
もちろんお土産屋さんなんて行きたくなかったがこちらが適当に指定した各目的地の合間合間に休憩のようにお土産屋さんでチャイを飲むというのを繰り返すことになった。キックバックの商売でもしているのだろうから、あまり気にせずお土産も買わずに付きあってばかりだったが、人の良さそうな店員の長々しい世間話に時折無感情に商品を勧められるだけのまったりとした時間は無駄だったような、いい経験だったような、不思議な感覚だった。
一方、そんな無理やり連れていかれた先の中には、工場とは名ばかりの、隣の人の顔も見えないような埃まみれの狭く薄暗い土間の部屋に多くの子供が押し込められ、一塊でもぞもぞと蠢いて何か布のような物を作らされいる場所などを見学する機会などもあり、少し考えさせられる場面も多く観ることができた。
ところで、初めの通過地点の都市であるタージマハールで有名なアーグラーを出て、次の目的地であるジャイプルに向かう道中、石拾いができるところはないかと運転手の青年に聞いてみた。
すると運転手は少しイライラした感じで石ならその辺にいくらでも落ちていると言い放ち、砂漠のど真ん中で無造作に車を停めた。今までのお土産屋さんで何も買わなかったので実入りが少なくなるかもしれない上に、お金にならない石拾いなんて下らない事を言いやがってというような気持ちがあったのかもしれないと慮る。
いやいや、そうじゃなくてと言いながら、インドっぽい鉱物か宝石を手に入れたいと何とか伝えた。すると運転手の青年は色めき立ち、それならばいいところを知っていると言う。
既にしばらく石拾いの趣味を続けていたが悪い意味で素人の王道から外れるようなことはしていなかったので、当時はジャイプルが宝石の主要な商業地ということすら知らないほどの体たらくであった。そして、彼の頭の中では、宝石という高額商品のキックバックビジネスが成功するという夢物語が広がっていたに違いない。
そして、運転手の青年は、バルスストーンだろ、バルスストーン流行っているもんな、というようなことを言い始めた。
はじめはバルスストーンというようなそういう名前の有名な石があるのかと思ったが、もちろんそんなものはなかった。いや、正確にはなかったという訳ではなく、何のことはない、何度も聞き直すと、それはバースストーン、つまり、誕生石ということだった。勝手に脳内で都合よく会話を生成していたが、よく考えれば、誕生石買えよな、と言われたのかもしれない。
ところで、この件があったおかげでインド系の人のRやBの発音が米国の英語とはだいぶ違っているということを認識することができた。後日、時を経てこれに気づいたことを契機にインド系の人々の会話の発音が妙に聞こえるようになったという思い出がある。
ジャイプルに着き、店に案内されると、そこは宝石ショップのようだった。
彼らの間で何やら会話があった後、無造作に裏手の窓もない薄暗く狭い部屋に通された。あれあれ大丈夫かという雰囲気だったが、相変わらず促されるままに身を任せるしかできることはなく、内心に不安を抱えながらもどうしようもなく部屋に入っていった。
狭い部屋の薄暗い照明の下では簡素なビジネス風の事務机の一部が裸電球に簡易な笠がついたような古めかしい卓上照明器具により照らし出されていた。机の上にはコールテンような生地で包まれたプレートのようなものがあった。
程なくして細面のマネージャーと思しき小柄な男が、2人部下のような男を従え、手に小さな袋をいくつか持って登場した。顔は暗くて良く見えなかった。
通常とは異なる小さくて超高額な商品を大量に扱う宝石商人は危険回避のために顔ばれを嫌うことや、何かあった時のために必ず複数人が同席するということを後に知った。
この場面は、自分の中にある宝石の買い付け場面のイメージそのものだった。そして、その通り、男は無造作にジャラジャラと袋の中の石をコールテンの上に広げ出し、これはいい石だ、好きな石を選んでみろというような感じでまくしたて始めた。
運転手のせいで素人がまったくもって間違った場所に迷い込んでしまったというようなシチュエーションだったが、相手の宝石商の男たちは淡々と慣れた交渉の手順の流れを一から踏んできているのが分かった。
その瞬間少し眩暈がした。
眩暈の原因は、それまでにいろいろとカルチャーショックにあってきたストレスのせいもあったのか、たまたまこのタイミングで腹痛に見舞われたことだった。
少し前かがみになり腹部を抑えながらおなかが痛いと言うと、近くにいた連れの男が裏手に行き何やら飲み物らしきものの瓶を手に帰ってきた。
おなかが痛いならこれを飲むといいと言う。それは、冷えた瓶のペプシコーラだった。既に思考回路も働かず、言われるがままに渡された冷えたコーラを飲んでみると、あら不思議、ほどなく腹痛は収まったのだった。それ以来コーラは腹痛に効くと刷り込まれている。
そういえば、その際に持ってきてくれたのは普通のカラメル色のコーラだったが、インドには青い色のペプシコーラもあった。野球のようにインドで大規模に流行っているラクロスの国際大会でのインドチームの色も青で、インド人は青が好きなのだろうと思った。その時期はたまたまそのラクロスの世界大会の時期で、夜に優勝が決まったのか地平線を見渡す限りにそこかしこで花火が上がる不思議な景色を青い色のペプシコーラ片手に眺めたのを憶えている。
程なくして腹痛が収まったところで、せっかくなので少し気を取り直して石を見てみることにした。机上のコールテンの上に広げられていたのはよく見ると大小様々なルビーのような赤い色石のルースだった。
一つ手に取って卓上照明の光の下でよく見てみると、カットは雑で、あまり光を通していないように見えた。もちろん専門家ではないので宝石を見る知識など微塵もなく、見様見真似の勘だよりだ。それらの石は簡単に言うと過去にどこかで見たことのある物に比べると品質の悪い石のような感触というが第一印象だった。他の石も見せてもらったが似たり寄ったりのような感触を受けた。
当時はまったく突然の流れの中での場面だったので勘だけがたよりだったが、今考えれば価値のある荒削りの天然の原石だったかもしれないと思うところもある。もう少し物を知っていればそういう判断もできた可能性もあり、そうなれば少しは交渉の余地があったかもしれないと思う。ありきたりに後悔先に立たずと言いたいが、それ以前のレベルでその場は撃沈した。
それでも値段が許容範囲ならば、記念に一つくらい買って帰ってもいいかもしれないと心を緩めた瞬間、見透かされたように向こうから値段を切り出してきた。流石にプロである。
そこで提示されたのは心に準備していた金額とはかけ離れたびっくりするくらい結構な金額だった。もちろんありがちな言ってみるという精神があったのかもしれないが、その時は日本でも恐らく3分の一以下の値段で正規のお店で買えるのではないかと感じた。
そう考えると仕入れの場的なこのシチュエーションでは額が一桁も二桁も違っているような感じがしたので、リップサービス的に少し考えたふりをしてから、そんなに高くは買えない、日本では店でもっと透き通った石がもっと安く買えるとその時に思ったことを素直に伝え、逆に元々思っていたよりも安い値段を言ってみた。男は苦笑いを浮かべながら連れの男たちと目配せをした。
今考えるとただのカモな上に天然物と人工物の差も分からないようなド素人の怪しいアジア人の若造に対する呆れと思われるその時の男の苦笑の顔が忘れられない。演技だったのかもしれないが、少し食いだけ下がられた。しかし、当時は真剣な相手の時間を無駄にさせることに対し申し訳ないという気持ちもあり、腹痛の疲れでハードな交渉をする気力もでなかった。そして、コーラのお礼を言うと何とか店を脱出することに成功した。
しばらくの間、宝石商での一連の流れを何度も思い返していた。
一つ悶々と考えていたのは、前提となる背景の環境として、いい石は海外の商人が買い漁ってしまい地元には残っていなかったという事があったのかもしれないということだった。正しいかどうかは今となっては分からないが、勝手な思い違いではあるものの仕入れのような雰囲気の場面で商売的な態度に臨んだ際に少し厳しい気持ちを持ってしまったことに対し少し思い直る部分があった。当時は次々と襲い来る物理的、精神的な度重なるカルチャーショックが始まったばかりの真っ只中ということもあったが、やはり現場では彼らなりに真剣な宝石商に無駄な時間を使わせてしまったかもしれないという様な申し訳ない気持ちを感じている部分もある。
真実はそうであることと、そうでないことがあるにせよ、この宝石商に関わらずどんな商売でも、何かしらの背景により、そのような不遇な環境でビジネスをせざるを得ない状況があり、そして、それを本人たちがその不遇さに気づいているのかどうかも分からないならば非常に可愛そうだという気持がぐるぐると巡るようになった。
そして、これは商売だけではなく、環境問題やその生活への影響などにも同様に言える事なのだが、伝えたい出来事をストーリーにするだけでも膨大になりそうなので今回はこのくらいでやめておこうと思う。
まあ、考えすぎかもしれない。
今考えれば、インドのこの宝石商では事前に石の質や価値をある程度把握していれば他のインドの商売人とのやりとりと同様に粘り強く交渉を重ねて行き思ったような値段で纏めて石を買うことができたかもしれないと思うところもある。もしくは、それでも色気を出したおのぼりさんの旅行者に対し、その後の手練手管で逆に足元を見られて二束三文の屑石を大量に掴まされてしまっていたかもしれない。そんなことを考えても結論はでるはずもない。
いずれにしてもインドでの商売の場面では、まず観光の旅行者には3倍から10倍を吹っ掛けてみるというようなスタイルが根本にあることは経験則として感じるようになった。また、この時の宝石商とのやりとり自体からは何も成果物はなかったが、この出来事は将来いつまた突然来るとも分からぬ同じようなシチュエーションになった時のために自身の課題を浮き彫りにしてくれたようで印象深い出来事となった。
そんなこんなで、結局、宝石の三大集積地であるジャイプルで石を手に入れることはできなかったが、突然降ってわいたバルスストーンの謎は説くことができた。
本丸のネパールに入国する前に、こんなことの連続で十分すぎるくらいの濃い時間を過ごしてしまったのがインド行脚であった。
経験も宝である。
1 Comment
コメントは停止中です。