こんにちは。GOです。
ある日ふと立ち寄った本屋でたまたま手に入れた本に、アメリカにたった一か所だけ素人でも公然とダイヤモンドの発掘ができるところがあるという情報が掲載されていた(2010年前後5年頃の情報です)。
そういう話にはすぐにアンテナが立ち、ピンときて現地に向かおうと心に決めた。成功者のストーリーでは、びっくりするようなダイヤモンドが偶然に簡単に見つかったというような話も書いてあり、無駄に期待感が高まった。ただ、今になると少し気持ちばかりが先走っていただけなのかもしれないと思う部分もある。
北米南部に位置するアーカンソー州にその場所はある。南部の地域にはそれまで足を踏み入れたことがなく、何か理由を見つけて行ってみたいと漠然と思っていた時だったので足を延ばすのに良い理由が見つかったという感じもあった。
当日は夜になってから出発して現地に向かうことになった。12時間程度のほぼノンストップでの徹夜のロングドライブで、現地に着くと既にへとへとに疲れ果ててしまっていた。到着した当日は、予約していたホテルにチェックインした後、あまり無理をせず、宿の近くの散策をする程度に留めることにした。南部っぽい雰囲気のレストランでチキンを食べたり、グロッサリーなどの地元の店を見て回ったりと地域の雰囲気を堪能することができた。
目的地であるクレーターオブダイヤモンドステートパーク Crater of Diamonds State Parkはホテルの程近くだった。翌日は極度の疲労から少し寝坊気味で現地に向かうことになった。何とも腕と足が筋肉痛で痛い。運転のせいで筋肉痛になるなんてそれまでは思いもよらなかった。
公園入口の看板の所から脇道に入り、駐車場に車を停めた。車を降りるとそれらしいモニュメントを横目にメインの建物に向かい、そこで入場料を払い採掘現場に入る。
道具類はメインの建物で貸してもらうことができる。いつもながら前情報もろくに調べずに突入した身で状況もよく理解しないまま簡易な道具のみで挑むことになった。
採掘現場といっても広々とした土地を掘り返した畑のようなところで、そこここで泥まみれになって土を掘り返している人が見える。
散歩の様に地面を凝視しながら歩く人、何やら土をバケツに入れて運んでいる人、深く穴を掘りそこに入り込んでいる人などそれぞれのやり方で楽しんでいるようだった。
見よう見まねで地面を凝視しながら歩いたり、しゃがみこんで地面の表面を削ってみたりといろいろ試してみたがなかなか感触がつかめない。
ダイヤモンドは金属質のような見かけであるとは案内にも書いてあり、サンプルも置いてあったが、身についた実感的とはいかずなかなか分かりづらかった。
なんといっても疲労と筋肉痛が酷く初めから集中力はない。建物の中に書いてある内容やそんな事前のサンプルの観察でも全く何も頭に入らず、現場でも長い時間集中して作業に向かうこともできなかった。失態という以外何物でもなかった。
メインの建物の中では毎日この公園で見つけられたダイヤモンドの数や大きさ、種類などを掲示している。拾ったものは鑑別をしてくれるということだったので、勘だけで拾ったいくつかのそれっぽいものの鑑別をしてもらった。
結果はゼロ。
残念ながら拾った石の中にダイヤモンドはなかった。
反省会として失態の結末を思い返したところ、それらしい成果のためにはもう少し体力に余裕を持ち、そして何より、それらしい方法により長期で挑む心構えが必要なのかもしれないと思うようになった。
採集の一般的な方法は、土をバケツで集め、ザルのような物を使って水で洗い、残ったものをテーブルにあけてダイヤモンドを探すという手順らしかった。ザルに残ったものを逆さまにテーブルにあけると、比重によりザルの底にたまったダイヤモンドが砂利の山の頂上に残るといった寸法のようだ。サファイヤやルビーなど他の鉱物でも川や土などから拾い出す場合もこんな感じの様な気がする。
もちろん、地表をひたすら凝視するような方法やそこら辺を掘りまくる方法でもダイヤモンドを見つけている人はいるようなので決まった方法というのはないような気もした。
周辺のお土産屋さんではこの公園で見つけられたダイヤモンドが大量に売られている。見つけたダイヤモンドを売るという夢のような仕事をしている人もいるのかもしれないと思うが、実際に体験してみるとそれほど甘くはなさそうな世界だった。
サンプルとしてお土産に一つ買うことも頭をよぎったが、それは次回挑戦した時に見つけられなかったらにしようとぼんやりとする頭で考えていた。結果として買うのはやめることにしたがそこは判断を誤ったかもしれない。今はキンバリープロセスというダイヤモンドの国際的な取扱いが厳しくなっているので、まだ自由に持ってこれたこの時に買っておけばよかったと思うところもあるが、月並みながら後悔は先には立たないものである。
いずれにせよ、次回はもう少し長期で時間を取り、それなりの道具とやり方で再挑戦しようと実現するかどうかも分からない未来に心を馳せながら現場を後にした。