こんにちは。GOです。
香港に貿易銭の大型銀貨を探しに行ったことがあるが、そのことを発端として、しばらくコインについて右往左往する羽目になった。
きっかけは忘れてしまったがある大型銀貨に興味を持ったことがあった。それはかつて過去に香港で使われていたという龍の模様があしらわれた大型銀貨で貿易銭と呼ばれているものだった。
香港で使われていた古い貨幣ということで、香港に行けば何か分かるかもしれないという思いがあり、海外での行きすがらに香港に立ち寄ることができた際に探しに行くことにした。
ホテルのある地域のはずれからフェリーに乗り、そういうものが売っていそうな地域に向かった。現地では大型コインらしきものを扱っている店が数店舗あり、値段をチェックしながらいくつかの店を回ったが、店舗ごとに銀貨らしきものの山を見るにつけ、何か少し違和感を感じてはいた。
一応、そこに目的の貿易銭の大型銀貨らしきものもあり、手にれることができた。その際、一緒に売っていた他の見たことのあるコインをいくつか手に入れておいた。
”らしき”とつけているのは、売られているコインに違和感があったからであり、後でいろいろと調べていると、やはり、そういう大型銀貨は偽造されたものがほとんどであるというような情報に行きついたからである。
冷静に考えれば、外観はある程度それらしく作られているが既にどこか怪しい雰囲気があり、値段は安く、海外の硬貨も含め種類が多かった。また、それぞれを手に持った感触にまず違和感があった。情けなくていい表現は見つからないがその出来はお土産レベルといったところかもしれない。
確実に確認はしていないものの、結果としては、香港の行脚では偽物らしきものしか手に入らなかったというお粗末な結末となってしまった。
後日、目的のコインとは少し違うがよく似ている龍の柄があしらわれている中華系のコインがあるのを、家族から譲り受けていた雑多に纏められた古い硬貨類の中に偶然発見した。それらは中国や満州の大型銅貨であった。
そう、実は龍の柄があしらわれている中華系の大型コインは実は初めから身近にあったのである。従前にそれを見つけていれば無駄に海外をウロウロすることもなくそれで満足したくらいの事であったことを冷静に感じた。もちろん、手元に持っていないと思い込み、つい探しに行ってしまったという自分の脇の甘さが原因で生まれた情けない結果であったが、それはそれで紆余曲折を楽しむことができたので良しということにしようと思うことにした。
ところで、香港行脚の際に手あたり次第に購入していたお土産レベルの大型コインの中にモーガンダラーコインの偽物らしきものが混じっていた。
コイン蒐集の知識としては初歩ではあるが、有名なモーガンダラーコイン(Morgan、モルガンとも呼ばれる米国の1ドル硬貨)については以前からアンテナには引っかかっていた。もともと集めるまでもなく手元にいろいろなコインが集まっていたので、敢えて特定のコインを本格的に手に入れたいと思っていたわけではなかったが、香港でモーガンダラーの偽物らしきものを手に入れてからは少し余計に本物のモーガンダラーについて気になってしまっていた。
たまにきっかけがあると気になってくる程度の感触であったが、ある時米国に赴いた際にたまたま日程が合ったエステートセールに何か面白いものがないかと思い訪れてみると、ガラスのショーケースに入れられた雑多なコイン類の中にそのモーガンダラーが潜んでいたのを偶然発見し手に入れることができた。
もちろんコインで蒐集家の羨望の的となっているのは特定の年代の特定の工場で作られたミントで傷のないピカピカのものだが、俄か収集家としては、それほどこだわりがある訳でもないので、当たらずも遠からずで手に入れたものが本物ならばそれでいいというくらいの拘り具合であった。
そういえば、大型コインの右往左往については、後日談がある。
そんな大型コインの紆余曲折からしばらくたった頃、宝石類に少し興味が出てきていた時期があった。
宝石とコインというキーワードが自分の頭の中で新鮮だったからか、インターネットで目にして何故か惚れ込んでしまったコインがあった。それは、宝石をあしらった大型コインのクラウンジュエルである。
クラウンジュエルはクックアイランドの政府が外貨獲得のための手段として発売している記念コインの中の一つである。コインというよりはその大きさからメダルといったほうがしっくりくるかもしれない。更にそのクラウンジュエルにもいくつもパターンがあるが、特に気になっていたものは大型銀貨の中心部分に透明の窓が開き、そこに小さいながらも色とりどりの本物の宝石が格納されているものである。もちろん発売数は限定されている。
普段からコインを集めているという訳ではないが、たまにきっかけがあると蒐集欲が盛り上がってくるという具合である。大抵はすぐに熱が冷めて忘れてしまうが、稀に結果まで辿り着くこともある。俄かと言えばどこまでも俄かであるが、それを楽しんでいる部分もある。
初めは毎度のことながらクックアイランドに行けば手に入れられるのかとも思っていたが、少し調べてみるとクックアイランドの現地で使われているコインは全く別のデザインであり、こういう完売済の記念コインはどこで手に入れられるのかはよく分からなかった。
どこかのアンティークフェアやフリーマーケット、コイン収集家のイベントなどで見かければ手に入れてみようとは薄々思い続けていたがなかなかその日が訪れることはなかった。
クラウンジュエルには金貨と銀貨があった。たまたまインターネットで見た銀の方が初見で好みだと感じたが、そのタイミングでは売っている実物をすぐに探し当てることができなかった。しばらくはそのまま力を入れることもなく時間が過ぎたが、後日ふと思い立って再びインターネットで探してみると、あっさりと見つかり、家に居ながらにしての現金採集であっけなく手に入ってしまった。
漠然と海外への冒険を妄想していたこともあり、なんだか少し拍子抜けをした感があったが、初めからそれくらいのものであったのだと自戒の念を含め思い直った。
宝石があしらわれているクックアイランドのクラウンジュエル銀貨
もちろん場合によってはインターネットで現金収集という方法も必要であり活用する。しかし、一方では、結果に到達したことは一つ喜ばしいことではあるが、どこかしっくりこない部分があるのでそれだけがメインの活動とはなかなか成りえないような気がしている。
それは、何故か手に入れたものが夢とロマンが膨らむお宝として懐に収まったという感触が薄いからなのだろうか、よく分からない。ただリスト上の物をその辺で買ってきて消費したような感触と同じような気がして、なんだか物足りなさを感じるということも否めない。
これはインターネットを通じた現金採集であったからということだけではなく、手に入れた後に急速に熱が冷めるような気がして次につながる原動力のようなものを感じなかったという部分に何か心に語り掛けるところがあったということのような気もする。
もちろん価値ある逸品を手に入れたり、蒐集の目的物を手に入れるということはトレジャーハントの活動の第一義であるとは思う。また、自分の手元にあるものに希少価値があるということや、手に入れた価値と手放す時の価値の差のような目に見えない価値のようなものもその楽しみの感覚の中に介在しているような気がする。
特段苦労をしたいということでもないが、やはり、慣れない海外で右往左往しながら立ちはだかる難しい課題を乗り越えて逸品を探し当てるというような経験や手に入れる過程で触れる特殊で特別な体験、深みを知らないと得られない方法や知識、必要な技術の取得など、その逸品の背景にある様々な何かも自分にとっては大きな楽しみの一つとなっているのだろうということを改めて感じた出来事であった。
そんなこともあり、この一連の紆余曲折が自分の中のコイン蒐集ブームにひとまずは一旦終止符を打つ出来事となったような気がしている。